『深井 今井 深井 今井 ― 四人の琳派 ― 花鳥風月』展 解説

『深井 今井 深井 今井 ― 四人の琳派 ― 花鳥風月』展 解説

テキスト

 琳派と聞けば誰もが、たとえば光琳の「紅白梅図屏風」なり「燕子花図屏風」なりのことを思い浮かべるとして、頭のなかに思い浮かぶそのイメージに付随しているのはどのような感覚だろう。繊細さ、と言ってしまえば月並みだが、その感覚を慎重に腑分けしてみると、その他の大和絵や狩野派などに比べてさえいっそうシャープな輪郭(じっさいに輪郭線を描くかどうかは別にして)や、純粋なデザインにまで達しかねないある種の表層性が、「琳派らしさ」を支えているように思える。山や月や川が大胆に抽象化されていても、じつは草木や虫や動物たちはおどろくほど細密かつリアルに措かれているのだが、それらリアルな生き物たちも、西洋芸術を取り入れたあとの我々が思うリアルとは何かが違う。

 まるで対象がそこにあるかのような効果を追求した西洋絵画のイリュージョニズムは、遠近法はもちろんだが、油絵具の導入によって最終的に達成された。その本質はまるで光を溜めこむことができるかのような肉厚さにある。しかし日本画、さらにはそのある意味での究極にある琳派(ジャポニズムの多くは琳派的なものに由来しているのではないか)の画面は徹底的に薄い(金箔!)。そしてそこに描かれたものがいくら具象的でも、和紙や顔料の素材感がかならず感じられる。奥行きを描かないことで、琳派はその表層性をさらに徹底させた。

 ものの表面といっても、厳密に言えばそれはあくまでも二次元ではない。二次元は現実には存在しない。油画はそれを逆手に取るように堂々と厚みを手に入れたが、琳派の表面はまるで真の二次元が実現したかのように振る舞う。たとえ具象的であっても、どこかデザイン的なところが感じられるとしたら、それはこの表層性、別の言い方をすれば厚みの否定ゆえではないか。これを手に入れた制作物には、鑑賞者を拒絶するような高踏的(あえて言うと西洋近代芸術的)なところがない。世の東西を問わず後世の制作者たちは、琳派をはじめとするジャポニズムを取りこむことで親しみやすさを獲得し、それまでの西洋近代的芸術観を克服しようとした。それは制作物が平面か立体かを問わないのである。

制作年
作者
満留伸一郎
PROGRESS
STATUS