<h2> 琳派と聞けば誰もが、たとえば光琳の「紅白梅図屏風」なり「燕子花図屏風」なりのことを思い浮かべるとして、頭のなかに思い浮かぶそのイメージに付随しているのはどのような感覚だろう。繊細さ、と言ってしまえば月並みだが、その感覚を慎重に腑分けしてみると、その他の大和絵や狩野派などに比べてさえいっそうシャープな輪郭(じっさいに輪郭線を描くかどうかは別にして)や、純粋なデザインにまで達しかねないある種の表層性が、「琳派らしさ」を支えているように思える。山や月や川が大胆に抽象化されていても、じつは草木や虫や動物たちはおどろくほど細密かつリアルに措かれているのだが、それらリアルな生き物たちも、西洋芸術を取り入れたあとの我々が思うリアルとは何かが違う。</h2>
<h2> まるで対象がそこにあるかのような効果を追求した西洋絵画のイリュージョニズムは、遠近法はもちろんだが、油絵具の導入によって最終的に達成された。その本質はまるで光を溜めこむことができるかのような肉厚さにある。しかし日本画、さらにはそのある意味での究極にある琳派(ジャポニズムの多くは琳派的なものに由来しているのではないか)の画面は徹底的に薄い(金箔!)。そしてそこに描かれたものがいくら具象的でも、和紙や顔料の素材感がかならず感じられる。奥行きを描かないことで、琳派はその表層性をさらに徹底させた。</h2>
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<p>美術において写真がないという事態は考えられない。 『写真美術誌 OSTEN PHOTOGRAPHY』は、彫刻をする者、陶芸をする者、写真をする者、著述をする者etc.が、美術・芸術における写真がなんなのかを、写真の機能・役割を意識しながら、自らの美術・芸術に関わる写真について表現するものとして創刊された。 主として2019年以降の美術の場を、その表現の場としてはいるが、それ以前の美術の状況等を無視するものではない。 一方の極に基盤をつくる技術者を念頭に置きつつ、美術・芸術・アートにとっての写真とはいったいなんであり、そして、なんであり得るのかについて、探っていくこととしたい。</p>
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